2014年3月4日火曜日

第1話 そもそもオイラはこんな人間だった

よくよく考えてみるとオイラこれまで、自分の生い立ちなんかを話したことがあまりなかったですね。

16年くらいのお付き合いになる人も沢山いるのに、なんか不思議な感覚です。そこで第一話は、金融人生に足を踏み入れる前、どんなクソガキだったのか簡単にご説明し、その後そいつ(=オイラ)がどう変化(←退化?)したのかお楽しみいただければと思います。

【当時のPCとしてはハイスペックな方だった】
オイラは東京生まれ東京育ちです。中学校から大学まで一貫制の私学に通っていました。「なんで私学?」「教育熱心な家庭だったのね、、」とお思いでしょうが、私学を選択したのは両親ではなく、小学校6年生のオイラ。動機は2点、一つ目は1年間の受験勉強はつらいかもしれないが、一貫制の学校に行けばもう受験勉強をしなくていいという打算。二つ目は幼稚園時代から強制されていたピアノレッスンをやめる口実。この2つの動機をオブラートにくるんで両親には、「僕は私立の中学校に入って、思う存分スポーツや勉強に打ち込みたい。」と言ったらしい。実際のところ2つの(本当の)動機はよく覚えているのですが、両親向けのオフィシャルコメントは覚えていない(笑)

こんな風に先を読む癖(先回り?)が幼少の頃から備わっていたと思う。受験の結果は目出度く、親の第一志望(オイラの第二志望)に合格。念願の【受験なし人生】がスタート。

キャプテン翼世代のオイラは中学校ではサッカー部に入部。全然上手くならなかったくせに3年生の時、膝を壊してしまう。そして高校、大学ではゴルフ部に在籍した。ゴルフもそんなに上手くならなかったな~、4年生でようやくレギュラーになった程度。でもゴルフは今でも大好きで、自分の人間性の礎はゴルフという競技と、ゴルフ部での厳しい生活で培われたのだと思う。

ゴルフはとにかくセンスがなかった。それを補うために他の部員の2倍以上練習&トレーニングしていた。この頃から「努力に勝る天才なし」という言葉を信じ込むようになる。

【メモリもまずまず】
勉強は自分で言うのもなんですが、中学、高校で上位10%から陥落したことはなかった。学年トップをとったこともあったっけな。だからと言ってガリ勉タイプだった訳ではなく、試験前に計画的にやる方だった。全ての科目の暗記事項を単語帳にまとめ、それをペラペラめくって覚える作戦で6年間なんとかなった。正直記憶力には自信があったが、忘却曲線もかなり逆スティープだった。

【処理能力もまずまず】
高校時代、要領の良さに磨きがかかり、ゴルフ、バンド、遊び(普)、遊び(秘)、(少し)勉強など、ほとんど家にいなかったな~。単位制に近いカリキュラムだったので3年生の時なんかは週3回午前授業で、遊びたい放題だった。

大学時代は本当にゴルフに打ち込んだ。寝ても覚めてもゴルフ。朝練に出て、陸トレやって、練習所のバイトに行って、タダで球を打たしてもらって、夜は練習所の研修生とパチンコ&ドリンクという生活。正直授業はあまり出てなかったな、、、それでも人のコピーを頼りに、そつなく単位を習得。この時も4年生時はゼミ+1コマしか残っていなかった。もっとも成績は大したことがない。

【ストレス耐性は学生にしては高かった】
ゴルフ部は本当にキツイ部だった。リーグ戦終了後の納会とかで、翌朝まで酒癖の悪い先輩の隣に座らされ、説教を聞き、頭をはたかれ、それでも「ありがとうございました、今日は本当に勉強になりました」と目をキラキラさせながら言える行儀のいい男の子だった(笑) こういう理不尽なことが積み重なると、「逆にこの人、可哀想な人なんだな」と自然に考えるようになった。当時、こんな能力はまったく役に立たないと思ったが、マーケット業務を続ける上でストレス耐性はとても重要。

と、、、ここまで自画自賛してきたが実際のところを申し上げますと、私をパソコンに例えるとするならば、『比較的ハイスペックなマシンなのに、OSもアプリケーションも入っていない状態』

幼少期&学生時代のオイラはこんな感じでした。

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