2014年3月25日火曜日

第7話 証券業界への移籍 =外の海が見たい=

とにかく知りたがりだったオイラは、ペイペイのくせに業者間の懇親会や情報交換会によく顔をだした。その中でとりわけ刺激だったのが債券牛熊会だった。銀行、信託、生保、損保、投信投資顧問、証券会社からディーラー、ファンドマネージャー、ストラテジスト、エコノミストなどなど毎回50人以上が参加する懇親会。まわりはシニアな方ばかりでオイラは当然ダントツの最年少。それでも主宰者の方に直談判して参加させていただいていた。

だからと言って懇親会で小さくなっていては意味がない。とにかく沢山の方とよく話しをした。思い起こせば、こんな小僧の戯言をよく聞いていただいたと思う。そして私にとって耳新しい話(というか私は知らないことだらけ・笑)を一生懸命教えてくれた。

当時のマーケットのシニアは若手を育てるのに熱心な方が多かった。例えば、商業銀行部門でライバル関係にあるA銀行とB銀行という立場でも、マーケット部門の方はお互いの若手の教育に手を抜かなかった。多くの方が東京市場の未来を担う人材育成が急務と考えていたのだと思う。

この場で学んだことは本当にプラスになった。だから私の証券業界における晩年のミッションのひとつは、次世代を担う若手育成と取引手法の啓蒙となった。

ちょっと脱線しましたが、このような活動を通じて自分の世界観(相場観)が非常に狭いということに気付かされた。そして債券ディーラーとして視野を広げ、腕を上げるために大海に出る必要性を感じるようになった。

市場部門以外で働く同期には、「本店に異動して好きな仕事をやらせてもらって、順風満帆じゃないか。辞めるのはもったいない。」きまってこう言われた。ただしこの「もったいない」という言葉の意味が響かなかった。

彼らが言いたかったのは、「銀行員として上手くいっているのにもったいない。(=普通にやってればそこそこ昇格できるじゃないか)」ということなのです。しかし私のキャリア観は「仕事」>「出世」だった。ここでいう「仕事」にはたくさんの意味があって、①自分のミッション、②所属する会社のミッション、③それを実現できる業務上の権限(←この場合は業務範囲に近い)。

極端に言えば、好きでもない仕事をして役員になるくらいだったら、好きな仕事をして一生ヒラの方がいいと考えていた。もっともこの考え方は晩年、多少オトナな考え方になるんですけどね。。。(大手金融機関において一定の職務権限がなければ、ミッションを遂行することなんか出来ない)

当時のオイラのミッションは2つ、①ディーラーとしての経験値をあげる、②東京金融市場を振り回した投機資金筋に一泡吹かせてやる(日本人の底力を見せてやる)。この①を実現するために、証券会社のJGB営業担当となり、様々な投資家の投資手法を学ばせてもらう。そして理論武装を図ったうえで、再度ディーラーとして戦う。こんなキャリアパスを望むようになった。

非常に虫のいいキャリアパスだ(笑)しかしこんな夢みたいなプランを温めていた矢先、、懇親会で知り合った某証券会社のシニアストラテジストから「うちの会社に来ないか?最初にJGB営業をやって結果が認められれば、その後ディーラーをやることも出来ると思う。」と信じられないお誘いが来た!

サラリーマン10年目、最初の転機だった。希望していたポストとは言え、お世話になった次長(当時)、チームの同僚を裏切るようなことをしていいのか?

悩んだ挙句、その証券会社の面接を受け、話を聞いてみることにした。面接では様々な質問をされたが、毎回面接の後半は(当方からの)質問攻めになっていたような気がする。とにかく証券会社で、自分に何ができるのか?何をさせてもらえるのか?どれだけ仕事していいのか?自分のミッションを遂行する上で適切な場所なのか調査することに努めた。こんなことばかり聞いていたので、ある役員の面接のとき、「あまり一生懸命やりすぎると、周りからやっかみの目で見られるかもしれないよ。うちは都銀と違ってそんなにガツガツしてないからね。ほどほどにね。」と釘をさされた。生意気な小僧に見えたのだろう。

面接はトントン拍子で進み内定をいただく。沢山の方にお会いした結果、ここで証券マンとして第一歩を踏み出すことは自分にとってプラスになるという判断も出来た。でも、次長(当時)になんて言おう。。。内定が嬉しかった反面、クヨクヨして田園都市線に乗り込んだのをよく覚えている。

翌日次長(当時)に「お話ししたいことがありますので、別室にお願いできませんか?」と申し出る。応接室にて「実は退職して○○証券に行きたいと思います。ディーラーとしてのキャリアアップのため、自分なりに決断しました。本当に申し訳ございません。」と言うと、次長(当時)は私の目をじっと見てしばらく沈黙。そして「お前のことだから止めても無駄なんだな。これから部長と人事に話をする。」と引き取った。


肉親を殴ったような嫌な気分だった。5年半もの間、ディーリングもヘタで、ヘマばかりしている私をかばい、手塩にかけて育ててきたにもかかわらずこの裏切り行為。それでも次長(当時)からは一言の叱責もなかった。私の性格、思考をすべて理解し受け止めてくれたのだ。そして当方の退職願は受理され、Varショック(20037月)の最中、宇宙戦艦ヤマトのテーマに見送られ、証券業界へ出陣する。


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