2014年3月30日日曜日

第10話 リーマンブラザーズ証券 =サラリーマンとしての青春=

たった2年の証券人生で営業譲渡、部門閉鎖に被弾した。「次は絶対に大きな会社に就職しよう!」ということで選んだのは、世界で4番目に大き(かった)な証券会社 リーマンブラザーズ。ここは大丈夫だ、大きいし、ボスは迫力あるし、日本人だし、、、(←これは関係ないけどね・笑)

最終面接は副社長だった。副社長は円金利営業のことをあまり知らなかった。面接はあっさりしてて、時間をもてあました副社長は「お前、夢とかある?」いきなり新卒面談みたいなことを聞かれ正直戸惑った(汗)でもポーカーフェイスで「東京No1セールスになることです。」と言ってやった。初めての米系証券だったから、なめられたらイカンと、ちょっと気負ってたかな?

無事に採用されてジャンプインしたJGB営業チームはヘッドを入れて8人。前の会社の約3倍だ。担当先は少なくなっちゃうけど、使えるリソースも多い!これは色々勉強出来そうだっ!!!

結論から言うと、リーマンは私のサラリーマン人生の青春です。一番真っ赤に燃え上って仕事をしていたのはこの3年半だ。1週間(7日間)合計で20時間寝てないなんてことザラにあった。出社して電話を握り続け、社内で叫び続け、引け後は外訪、夜はシニアのRM活動、週末ヘタすれば両日ともお客様とゴルフ。あいている時間は業務を処理するためにデスクにかじりついていた。飲んだ後、顔を真っ赤(オイラは下戸で、酒が飲めるようになったのは営業になってから、、、今では毎日飲むけどね・笑)にして帰社して仕事をするのが当たり前だった。

注: 最近接待が問題になっているようなので念のため申し上げますが、当方はビジネス会食、ゴルフを基本にしておりますので、過剰接待は一切ございません(最近はゴルフも少なくなってましたけどね)。そしてビジネストークをガチンコでやっていました。

評価体系(報酬)に規制がかかる前だったので、業績連動給が大きかったのもモチベーションをあげる要素の一つだった。人並みにお金が欲しいという欲求はありました。でもね、後日談をご報告しますと、ボーナスの多くは株式です。おまけに換金(=売却)出来るのは頂いてから4年後、、、、と言うことは~~、在籍3年半だからビタ一文もらってない~~Orz おほほぉぉぉぉぉ↓

ただそれよりも「東京No1セールス(爆)になる」という気持ちの方が強かった。パフォーマンスの悪い従業員はあっという間にいなくなる。本当に喉がヒリヒリするような空気感の中で全力疾走していた。

嫌な思いも沢山した。こういう評価体系なので、くだらない社内政治も当然ある。数字だけのために働いている人も多いので、極端に言えば手柄を横取りしようとする人とかもいた。

リーマンで身につけたものはたくさんある。
    自分の精神的、体力的限界が広がった。人間無理をすると限界が広くなる。
    グローバルに大きな会社だったので社内ネットワークを有効活用すると、独力の10倍以上の付加可否をお客様に提供することが可能だった。このレバレッジを迅速かつ最大限に引き出す術を覚えた。
    会社のリソースを使うと自分の知識も増える。
    使える知識が増えると、顧客自身も気づいていない潜在ニーズを引き出す手段が増える。これはビジネスとしてWINWINにつながることが多い。
    社内で戦うことが増えた。その際に①組織で折り合う、②組織で戦う、③独力で処理する、この使い分けを覚え、面倒なことに時間をかけないようになった。
ここからは業務的な話。
    リスクを取って初めてわかることが沢山あった。
    お客様に提供したサービスと顧客満足度というのは、スナップショットベース(ある時点での)の会社のリソース、とタイミング的に必ずしも一致しない。基本的に半年から1.5年のDELAYをもって顧客満足度となって表れるということが分かった。
    倒産前後で嫌というほど思い知らされたこと、「人間は窮地に追い込まれると本性が出る」。
    本気で一緒に働いた社内外の仲間と分かち合った苦しみの分だけ、時が過ぎた後の酒が美味い。

もう書き始めたらキリがない。

表の独り言によく登場した新人O(現在は生意気に7年目になっている)はリーマンで発掘した。こいつには本当に世話になった。新卒面接の時、唯一目玉の揺れない奴だったので採用し、メンターとして厳しく指導した。足かけ3社で一緒に仕事をしたけど、オイラの無理難題に振り回されながら、よく頑張った。これからも活躍してほしいと願っている。

2008年9月15日 日本は祝日でした。私は自宅待機が命じられていたので、家で電話を待っていました。チームヘッドから電話が来て「リーマンはチャプター11を申請した。SVP以上はこれから会社に集まってくれ。」祝日の六本木ヒルズ32階、夕日が差し込むフロア。すでに電話が鳴り始めていた。お客様も緊急招集されているのだ。本当に申し訳ないことをしてしまった。謝っても謝りきれない。お客様だけではなく金融市場、世界経済全体に対して本当に取り返しのつかないことをしてしまった。私もこの会社に力を貸していた一人なのだから。

リーマン破綻以降の私の業務上のミッションは、それまでの「若手育成&取引手法啓蒙」に加え「リーマン破綻の罪を償うこと」となった。この2つについては業界を去ってしまった今でも、出来ることを続けていくつもりです。


破たん直後の様子については初期のブログをご覧になっていただければ幸いです。

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