2015年6月22日月曜日

ご馳走はたまに喰うから美味いという当たり前のことを痛感

証券営業時代は立場上、シニアの公式接待が多かった。営業ヘッドであると同時に、役員の鞄持ち的な役回りをすることも多く、接待、ランチ勉強会、ディナーミーティング等々、美味い物を散々喰った。

当然、純粋に飯の味を楽しむような場ではなく、「次に何を話すべきか」考えながら、仕事をこなすように皿をこなしていっただけなので、正直「美味い!」と感じることはあまりなかった。

でも舌の方は知らず知らずの内に肥えてしまうもので、どんな有名なレストランで食べても、だいたい同じ味に感じるようになっていた。ような気がする。

(なんか、嫌味っぽい文章だね。でも備忘録的に書き留めておきたいので許してちょ)

本日家族で椿山荘に行き夕食(ビュッフェ)を取った。食後、庭園でホタルを見物するためだ。この行事を3年前にもやったのだが、その時は、「ここのビュッフェはあまりサプライズがないな、、、」と思った記憶が蘇る。

かかし、、、本日は、「何喰っても美味い!」 もう、サプライズの連続!小食の私が珍しく満腹するまで喰った(笑)

「あしたのジョー」で、金選手がジョーに、「満腹ボクサーめ」と罵ったことがある。「自分が日常だと思っていることは、人にとって日常ではない。」そして「日常(当たり前)だと思っていることが、突然日常ではなくなることがある。」 また、それは能動的にも、受動的にも起こりうる。

今は日常が「知」に溢れていて、欲しい「知」をいくらでも吸収できる環境にある。これは恵まれた環境なのだと認識して生活しないといけないと痛感した。

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