2015年2月10日火曜日

突然アカデミックに振っている

ここ1週間ほど突然アカデミック軸に傾倒している。

ビジネススクールに通い始めて約1年。

最初の半年はとにかく新しい考え方の吸収に重きを置いた。それは自分にとって未知であったアプローチ手法(MOT、人材マネジメント、PF理論、ガバナンス等々)と、異なるバックグラウンドを持った方々の視点の獲得(私にとっては視座の獲得)である。

次の半年はビジネス軸に振れた。前半で体得できた情報に、自分がそれまでに積み重ねた経験、知識、情報をミックスさせた時、従来と違うフィールドで自分がどのような関わりが出来るのか試したかったからである。

通常ビジネススクールでは、このプロセスを終了し再び、実社会に戻っていく。しかしオイラはどうしても修論の内容に納得がいかず、卒業を半年間延期した訳だ。

納得のいかないポイントは論文がアカデミックではないという点につきる。(自分的には)大きなテーマを扱っているので、せっかく書くのだから、これに関連する人が読んで少しでもプラスになるものを書きたい。「少しでもプラスになる」=「その分野において研究が一歩先に進む」という事である。

という訳で、社会復帰するまでの残り1か月半、修論のアップグレードに特化する訳ですが、まずはアカデミックなアプローチ手法を習得するために、「質的研究」の基礎をゼロベースで学習し始めた。

金融の仕事は基本的には量的なアプローチ主体だ。この観点においてオイラは「質的アプローチの素人」という事が出来る。日々、頭が捻じれる思いだが、ページをめくるたびに新しい発見が沢山ある。

今日読んでいた本に、「〇〇理論というOSに、〇〇アプローチというアプリケーションを乗っけて、、」のようなクダリがあったのですが、この考え方がとてもフィットしていて驚いた。入学前の数か月間、自分史的なものを10数章に渡って書きましたが、その際にこれと同じ表現方法を自然に使っていたんですね。

アカデミックって難しいように思うのですが、普段我々が気づかずにやっているアプローチと同じものが沢山あって、最初は難解でも突然ストーンと落ちることがある。これが楽しいんだな(笑)

20年前に亡くなった祖父は、言語学者(実際は企業勤めだった)のような人で、四六時中ルーペで本を読んでいた。しかも何のアウトプットもなく、ただモクモクと読んでいた。オイラは爺さんが何で本を読んでいたのかまったく理解できなかったが、おいらが今感じているような感覚で読んでいたのかもしれないと思うと、ちょっと嬉しくなったりする。

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