2015年3月28日土曜日

早稲田ビジネススクールでの1年を総括

卒業はしていないので気が早いが、この1年を総括してみたいと思う。

前の職場を退職するときに上司から、『〇〇さんが、ビジネススクールに行っても、学ぶものはないと思うんですよね。』と慰留された。慰留されたのはサラリーマンとして嬉しかったけど、『学ぶものはない』という言葉には違和感を感じていた。

実際に入学してみて、どうだったか?『学ぶものは沢山あった。』
厳密に言えば、『他者から学んで、自分の知識、経験、考え方と統合させることで、自分を変化させることが出来た。』

【自分の変化】が【進化】か【退化】か、私は【進化】だったと確信している。もっとも、それが他人の目にはどう映るのかは分からないけどね。ただし自分が目指していた方向に変化出来たという意味では【進化】という表現をしたい。

何を目指していたのか?これが結構曖昧なまま、ここに来た(笑) しかし【曖昧】と表現したのは、【不明確】という意味合いではなく、【目指すものが大きすぎて現実性がない】という意味で【曖昧】だったのだ。

証券マンを引退する日の『最後の独り言』にも書いたけど、僕は沢山の金融危機に巻き込まれてきた。その中でいつも思っていたことは、『金融市場業務に従事する人間は、金融危機時に何を考え、何をすべきか分かっていたにも関わらず、行動出来なかった。』 様々な利害関係の中で、正しい行動が取れなくなるのは世の常ではあるが、行動しないことが自分、組織、国のデメリットになることが分かっていたのにアクションが取れないのは、僕にとって許せないことだった。

『そんな事なら、相場を辞めてしまえ。』というのが持論だったので、証券時代の僕は時に過激な発言をしたし、少しでもこの業界を変えたいという思いが人一倍強かった。そしてほとんど変えることが出来ずに、自分が身を引くことにした。

現在の日本、大きな意味では現在の資本市場主義は限界を迎えていると思う。持続可能な社会を次世代に繋いでいく事が自分の使命と考え、ビジネススクールに飛び込んでみた。

『では、どうやって持続可能な世界を創るのか?』

最初は、『二極化を解消するサービスを創る』とか、『年金財政を立て直す民間サービスを創る』とかとてつもなく大きなことを言っていた。今更考えれば、【とても曖昧】だった。だって、独力では実現の可能性が低いのだから。変わらない、変われない、政治や官僚との協業が必要な分野で変革を起こすのは、現実性がないと言わざるを得ない。

そこから葛藤が始まった。どうすれば、自分の目指している方向に貢献することが出来るか?様々な人に意見を頂戴したり、影響を受けながら辿り着いた道が、『ベンチャー支援環境整備』という分野だ。

ひとことで『ベンチャー支援分野』と言っても範囲はとてつもなく広い。そしてこの分野にも、公的機関の介在がある。だから僕がやりたいのは、【民間の中】で成長し、マキシマイズできるベンチャー支援環境の整備。

その意思が固まったのが、7月くらいだった。そしてベンチャーキャピタルでのインターンを初め、沢山のベンチャー企業経営者と面談し、業界の現状把握に努めてきた。現在執筆中の修論のテーマもこの内容に特化しており、関心(研究)とビジネスの融合を図るという意味でも、ビジネススクールに来たことはプラスであったと言える。

ダラダラと長文を書いたけど、ビジネススクールでの最大の学びは、『自分が無知であることの理解』である。厳密にいうと、自分が何に対して無知であるかを把握する能力の獲得である。この観点において、自分は、『究極目標』を達成するための、『現実的目標』と『実行手段』を見つけることが出来たと言える。

これは私個人の意見であって、ビジネススクールに来る人の目的は様々です。MBAホルダーになりたいだけのヒト、出世のため、ネットワーク拡大のため、専門分野掘り下げのため、ジェネラリストになるため、等々、多くの方が、何かを掴んで卒業していったのではないでしょうか?

さぁ、そろそろ、次の目標に向けて発信するぞ!

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