2014年3月20日木曜日

第5話 都市銀行JGBディーラー時代 =ディーラー編=

銀行員5年目の4月、オイラは本店資金証券営業部に異動した。この部署は円貨債券運用、資金調達(当時の都市銀行はどこも資金調達サイドだった)、商品勘定(自己ディーリング)、市場系カスタマー業務などをメインにやっているところだ。

本店のマーケット部門、、、支店とはまったく違う世界にドキドキしながら初日を迎えた。最初に配属されたのはユーロ円金利先物受託チーム(=先物のブローキング)だった。

全てが新しい!9時前に時報がなる、、、「ナニヤッテンダ?」とキョロキョロしていると、9時JUST一斉に【カチャッ】と端末を叩いている。その直後に画面を睨む人、歓声を上げる人、怒っている人、、、、、う~む、意味が分からない。しかしこの緊張感、ナンカイイね!これがオイラのマーケットに対する第一印象だった。

後日談として言える事ですがマーケットとゴルフって似ているところがあって、①プロセスは大事だけど結果が全て、②周辺情報、環境、メンタルを加味して判断を下す、③失敗したときほど冷静になる必要がある。ゴルファーはよく「ゴルフは性格が出るからね。」と言いますが、マーケットも同じだと思う。こんな共通項があったから馴染めたし、好きになったのだと思う。

で、、、元に戻りますと、転勤当初は見るもの聞くもの全てがまったく分からなかった。マーケット知識、経済知識、資金の流れ、英語、仕事の流れ、、、覚えることが半端なく多い。最初の半年くらいは平均睡眠時間3時間くらいで死ぬ気で勉強した。それでも大したことなかったと思うが、、、Orz

1年ほど経過して短期国債ディーラー兼商品勘定の資金繰り担当になる。この時代からディーラー見習いとして、リスクの小さなポジションをとらせていただいた。

結論から言うとオイラは本当にヘタクソディーラーだった。短期国債ディーラーのあと円金利ディーラーとしてデビューするわけですが、3期連続でマイナス(=実損)でしたから。。。普通2期連続マイナスであれば、ディーラーの適正なしという判断で配置換えになるもの。しかしオイラの相場好きを見込んだ次長(当時)の温情で使い続けていただき、4期目にようやくプラス転換。この方には今でもまったく頭が上がらない。

相場仕事の醍醐味は毎日新しい材料があり、その度に学習すること。それが知識として蓄積されいずれ英知となる。新しいもの好きのオイラにとっては毎日が興奮の連続で、会社に行くのが楽しくて仕方なかった。とりわけ刺激的だったのは、同僚、社外の方々と電話で相場観を戦わせる作業。いろんな相場の見方に触れさせていただき、自分の不勉強を反省すると同時に「いずれ大海に出てみたい」という知的好奇心が芽生えるようになる。

ただし、この辺でもう一度オイラのスペックを思い出してください。新型I-Pob(アイポッブ!)だったオイラはここでも表面的な材料を広く浅く学習することに留まってしまい、本質を身につける努力をしなかったのです。厳密に言えば、本質を勉強しなければいけないことを理解しつつ、表面の情報を大量に得る方がディーラーにとってはプラスになると考えていたのです。

中長期的な投資というよりは短期的なディーリングを生業としていたので、それで事足りてしまったのです。ここでもCPUターボを大車輪のように回転させ、貧弱な「CPU+OS(=オイラの基本性能)」にAS(アプリケーションソフト)を沢山後付けしてしまったのです。イメージとしては細い幹に大量の葉っぱをつけて、図体だけ大きく見せた張りぼての木。

こんな最中に金融システム不安が盛り上がり、国内銀行の株価が全面的に急落。とうとう勤めていた都銀も合併の道を選択することとなる。もっとも今となっては当時と同じ名前でやっている金融機関はほとんどありませんが。。。第6話は都市銀行JGBディーラー時代=合併業務編=に突入します。

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