2014年3月19日水曜日

第4話 都市銀行支店時代 =後半=

CPUターボ搭載で見かけ上のスペックが上がったオイラは融資審査から営業マンに係り替え!担当先を沢山抱えて、日々業績向上のため自転車で走る、走る!

余談だがこの頃、同じエリアの別の銀行に勤めていた池井戸潤さん(『半沢直樹』の筆者)と担当先が重なっていた。そこの生粋の技術屋社長(当時72歳くらいだった)が私達2人を大変可愛がってくれて、社長を通して池井戸さんとご挨拶をさせていただいたのはオイラの自慢話のひとつなのでR!!!(池井戸さんはその社長のことはよく覚えていても、オイラのことは絶対覚えてないだろうけどね)

で、、、くどくなるけど、もう一度説明しておくと、、、この時のオイラには銀行員として必要とされる本質的なスペックが備わっていない。いわば見せかけの最新バージョン!!!どっかの国が作った【I-Pob】みたいなもん(笑)

営業マンの業績管理項目は盛りだくさんで、新規融資、外為、パソコンバンキング、カード、富裕層取引、定期、流動性、保証協会融資、為替、その他にも業務効率化関連なんかもあった。どれもこれも新しいことばかり。

でもその時のオイラは新しい仕事(=アプリケーションソフト 以下AS)を処理するにも、更にCPUターボを積めばなんとかなると思っていた。そしてその通りに行動した。当時の格言、「仕事なんかどんな増えても大丈夫。2倍になったら2倍速く動かせばそれだけでいいんだ。」 本質を理解していない若造の戯言でした。

その時に搭載してしまった新型CPUターボは『ジョブを自走させる』という概念です。仕事には「自分で行動しなければいけないもの」と「他の人にやってもらえるもの」がある。それを支店内の他の人というよりも、お客様にお願いするようになったのです。当然押し付けではなく結果的に顧客が満足するGIVE&TAKEで。

念のため言っておきますが悪いことをやってた訳ではないですよ(笑) でも仕事を簡略化して進めていく悪知恵が身についてしまったのです。

しかしこの手法でマルチヒットが続き、営業マンになって半年後には首位打者になってしまった。これが将来的に自分の伸びシロを狭める要因の一つになってしまったと反省している。しかし当時の私は、この業績が自分の本来能力によるものだと過信してしまったOrz

支店には丸4年いた。同期270人の中で一番長い在籍期間だった。調子にのった若造は、「私は大きな仕事をやってみたいので本店営業部に異動したい。」と生意気な希望を言うようになっていた。しかし当時お仕えした支店長に「オマエの性格はマーケット向きだ。営業部ではなく資金証券営業部に異動を命じる。まったく違う世界だと思うけど大暴れして来い。」と穴を叩かれて大手町に出陣!

この支店長には本当によくしていただき仲人までとっていただいた。今でもお付き合いを頂戴している。この方のご判断がなければ、私がマーケットと出会う事は100%なかった。だって、銀行にディーリングセクションがあるなんてこと知らなかったんだから(笑)

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