2018年9月15日土曜日

リーマンブラザーズ証券破綻から10年

今日はリーマンの命日≒「独り言」ブログ版開設トリガー日(きっかけとなった日)

昨晩は当時の日本法人債券部門の仲間約30人が集まった。それこそ10年ぶりのヒトなんかもいて、懐かしい話、新しい話に花が咲き、あっという間の7時間だった(爆

節目ということで、「リーマンショックから10年」的な記事がメディアを飾る。だからそういうコメントを、今回するつもりはない。何故なら「いつもしている話だからだ(笑)」

あの時のことを生々しく後世に伝えるために、破綻直後のことを振り返りたい。

そもそも「独り言」のブログ版をリリースしたのはリーマンが潰れたからだ。2000年前後からメールマガジン形式(毎日)で配信していたものを、リーマン倒産で発信できなくなってしまい、中毒的読者から「何でもいいので書いてくれ」と言われて開設した。

野村、シティで証券業務に従事している間も、メールマガジンを日々配信する一方、ブログも細々と更新していた。そして証券引退後はほぼ毎日、こちらにコメントをアップするようにしている。古い読者の方も、新しい読者の方も、本当にありがたい限り。普段コミュニケーションをとってない方も数年ぶりに会って、

読者「この間のあれさ~~」
緑「なんで知ってるの?(笑」

と会話がすぐにトップスピードに乗る。そういう意味で、離れていてもこういう知人とは良い距離感を保っているのかなと思っている。SNSと違って一方通行なので、嫌だったらブログ読みに来ないよね。だよね?迷惑かけてないよね?

脱線すた(笑)破綻直後のことを書くね。

2008年9月15日、日本は祝日だった。オイラはマネジメント職階として自宅待機を命じられ、午後3時頃ボスから電話が入り、

「リーマンブラザーズ本体が米国チャプター11を申請した。日本法人も明日破綻することになる。今から会議をやるので出社して欲しい。」

地下鉄からヒルズオフィスに通じるエスカレータ―を上がると、ジャイアントスパイダー前広場では週末の夕方の景色が流れていた。潰れてしまった空虚な気持ちと生暖かい残暑の空気が交じり合って、不思議な気分だった。

32階オフィスに上がると、週末にも関わらず日本のお客様から電話がひっきりなしの状態。当たり前だよな、、、世界で4番目に大きな証券会社だよ。当時の野村證券の20倍位の規模か?

フロアには部門のMD、SVPが集まっていて、明日以降の対応が協議された。しかしどの説明も中途半端だった。10年前にブログにも書いたけど、倒産を想定したストラクチャーの会社なんてないんだよ。だから全員、どうすれば良いのか分からない。

おまけに会社がなくなると急速なモラルダウンが発生する。上司には評価権限がなくなり、部下は帰属意識が希薄化する。特に成果報酬の強い米系証券だったので、この傾向は顕著だった。

翌16日の出社時は違った景色だった。地下鉄からヒルズオフィスに通じるエスカレータ―を上がると、「リーマンの社員ですか?」って、あんなに沢山のマイクを向けられたのは後にも先にもない。

残暑厳しい32階のオフィスには、、、なんと冷房が入らない。ビル管理のヒトが、「電気代を払えない可能性があるから親会社に停められています、、、」だって。1階のバーでリーマンの帽子を被って大騒ぎしている外人たち。アンタたちみたいなのが、この会社潰したんだよって思った。

それから1か月間は、顧客への謝罪、取引の清算、法務関連手続、就職活動でバタバタした。人材は競合他社の草刈り場となり、日々、1人、2人と移籍して行った。「頑張ってこいよ」と送り出す移籍って、珍しい景色だったな。

あれから10年経った。みんな元気だった。この週末、東京、ロンドン、ニューヨークでは大なり小なり同じような同窓会が開催されているらしい。

オイラの部屋には当時のグッズが沢山ある。帽子、メモ帳、付箋、ボールペン等々。潰れて無くなったからこの会社が好きになったのか?そうではないと思う。でも一つ言えることは、倒産後、腹を割って、時には机を叩きながら激論した仲間と一緒だったから好きになったのだと思う。

とても良い経験だったね。昨日も楽しかったね。みんなまだまだ若いので、これからもよろしくねん♪

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