だから本件も特定の候補に対してコメントするものではない。
選挙の定義を、『ある一定の組織や集団の代表者,役員などを一定の資格を有するその構成員 (選挙権者) が選出する行為(ブリタニカ百科事典より)』とした場合、今回の選挙は有権者にとってとても良い経験だったと思う。
その理由は、
- 考える時間が少なかったこと
- 与えられた情報が少なかったこと
- 東京の近未来ビジョンを語る候補者がいなかったこと
いわずもがなですが選挙権は権利だ。そして多くの方は立候補する立場ではなく、票を投じる立場で権利を行使する。即ち『自分の代表として、限られた候補者の中から誰を選ぶべきか?』考え、選択する必要がある。
上記条件は物事を判断する上で極めて劣悪な条件であると言える。今回は選挙は、短い時間で、限られた(管理された)情報で、具体策を示されない中で、判断しなければいけなかったのである。分かり易く言えば、「不美人投票(←気に入らなかったら『ブサイク投票』でもいいです)」をしなければいけなかったのである。
そもそも、選挙とは少なからずこういう要素がある。このような状況下で『この人だったらリスクが小さいかな?』『この人が一番ましかな?』とアレコレ考えるのは、未来志向の第一歩ではないか?
そういう意味で都民は(私も含め)良い経験をしたと思っている。
本論とはまったく関係ないけど選挙戦突入前に、『舛添のままでいいじゃないか。選挙に50億もかかるんだぞっ』と唾を飛ばしている偉い人を見かけましたが、こっちの方が違和感がある。問題は『舛添云々』ではなく『選挙に50億かかる』という件。
都の税金から支出されるということに文句を仰っているように見えたが、この50億は世の中から消えてしまうのだろうか?違うよね、そのほとんどが都内で還流しているよね。しかも民間にばら撒かれる形で。確かに偏ったところに流れるかもしれないけど、その多くが人件費だよね。いいんじゃない?それが消費に回ると考えれば。『都政が停滞するから』という理由を前面に出して言うのであれば多少は納得感があったが、そうではなかったよね。
おまけに現段階で、『都政が停滞』すると困る事ってある?中長期的な課題は沢山あるけど、リセットするために多少の時間(=選挙期間+新体制移行に要する時間)がかかるのは仕方がないし、有権者のほとんどがそれを求めたんだから仕方ないんじゃない?それが民主主義なんだからね。
本題にも重なる部分だがメディアは相変わらず問題だらけだったね。もはや修復不能な状況に見えるが、メジャーなメディア以外のユーザーがマジョリティではないことに加え、マイナーなメディアユーザーのリテラシーが高まっていないことも大きな問題。20年後くらいには随分雰囲気が変わるのだと思うけど、その時はマイナーなメディアが現在のメジャーメディア同様の体たらくになっているのかもね。
こうなると結局大切なのは、自分の信じたやり方で情報を集め、自分で考え、権利を行使するしかないのかもしれないね。
あ~~、言いたいこと言ったらすっきりした。研究に戻ります。
明日は9時から臨海センターでミーティング。14時から教授と打ち合わせをして、15時30分から大手町でイベント参加。またバタバタの1週間がスタートします。
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