元旦から本日までちょいちょい仕事していたものの、基本的には子供たちのテニスの試合、練習の運転手として大車輪の活躍をした。
この5日間はなぜか西方面への出撃が多く、5日間中4日も富士山を拝むという機会に恵まれた。
亡くなった母は富士市出身で、オイラも幼少期は富士市で育った。祖父母の家の2階の窓は富士山が借景になっていたのを鮮明に記憶している。そして不思議な縁で富士銀行に入行し、富士山のロゴには強い思い入れがある。
そういう意味で富士山は心のよりどころのようなものでもあり、なんだかこの正月はいつもと違う感覚があった。なんていうかな、、、心が整った、覚悟ができた、不動の誓いをした、言葉で言い表すのは難しいんだけど、まったく別の表現をすると、
明日から全力疾走する準備が整った。
年初から沢山の予定が詰め込まれている。さぁ「波動砲発射準備の年」、行くぞっ!!!
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