本日、ベンチャーは能動的に動く意思を持ったビークルとしての限界を突破した。
これは新たなる一歩。
生みの親の一人として感動している。やっぱりベンチャーを子供として捉えるととても説明しやすい。しかしベンチャーの親として話をすると不具合があることも多い。だから擬人化したベンチャーとして言動をアウトプットすることに意味がある。
ちょっと前に『CEOは嫌な役回りだ』と書いたけど、これは『生みの親=CEO』という意味である。感覚を個人に戻すのは、一人の株主として話すときだけでいいんだ。それ以外は、オイラはここにいないんだ。
おそらくベンチャーの開発ステージに応じて、このアプローチは異なる。しかし、今はこうあるべきだし、こうでないと『生みの親=CEO』はパンクしてしまう。
さぁ、まだまだやるぞっ!!!
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